2011-12-02

Painting "untitled"

Untitled 2011 mixed media on wood panel   728x1030mm

今日は母の命日。はやいもので7年もたつ。
今の自分があるのはほんとに母のおかげですね。当たり前ですが。
本当に芯が強く、タフで、頭がよく、センスもあり、ブラックなユーモアをもつ、美しい人でした。血は繋がってませんが僕にとって一番肉親っぽい肉親。しかも母子家庭だったので、僕の人格形成も彼女によるところが大きい。ドライに論理的に思考する方法や、どうでもいいところで義理堅いところなどそっくりになりました。

成長過程でさんざん迷惑をかけたので、大人になってから、なるべく親孝行をこころがけたのですが、やっぱり、もっと出来たのではって思わずにはいられない。そう思ってもしょうがないので諦めてますが。
中学高校と「あなたは校長先生ですか?」っていうくらい、校長室からでてくる母さんをよく見てます。友達からも「おまえの母さんまた校長室に入ってったよ」とかよく言われた。まあ僕がしょうもないことをやってしまってるので、母が校長に呼ばれてしまうわけですが。そのせいもあって、大人になってからも会ったり話したりするたびに、「人に迷惑をかけてないか?」と開口一番に聞かれてました。

展覧会開催してるときとか、ちゃんとやってることを見せて安心してもらおうと、東京に何度か呼んで展覧会の会場をみせたり、仕事場を案内したときも、片っ端から僕の友人たちに会った瞬間「いつも迷惑かけてすみません」と謝ってましたね。僕のスタッフとかにまで。けっこう恥ずかしいですが、まあしょうがないです。
ほかにも、安心させようと、雑誌にイラスト載ったり、デザインした仕事が形になるたびに北海道に送ってました。
あまりきちんと見てなかったみたいだけど、、

そんな母は最後の最後までいい見本。教わることも多かった。癌になったときも「一切不自然な延命治療はするな」。私が私でなくなったときは、生きていても意味がない。変な装置をつけてまで人の世話になりたくない。と。
そんな母に育ててもらえた事が僕の最大の宝ですね。
ちいさな時から、自分で考え行動することの大切さもおしえてくれました。「自分のことは自分で支えて、他人を頼るな」まあ、ふつう小学生に言うことではないですが。いまでは感謝してます。

「天国にいる○○のために」とか「天国にいる○○が悲しむとか」そういう言い回しは子供の頃から嫌いでした。死んだらそれっきり。いなくなる。別に死に特別な意味をもたせても、美化しても、死は死。おわり。おわりがあるから今が尊い。生きてることと、生きている仲間を大切に、そして毎日を精一杯これでもかと楽しむ。いつか必ず死ぬんだから。そしてそのときに後悔しないように。友人や家族をなくした経験があるからそう思えるようになった。人って(というか僕って)そんなに賢くないので、身近な人をなくさないとなかなかそうは思えないもの。なくして初めてその価値に気づく。そうではなく、面と向かっているときにありがとうと伝えたい。そんなマインドになれたのもそういう経験を通して。なので一番身近な眞理子にはいつも感謝を伝えてます。

死んだ人が生きるとすればそれは誰かの心のなか。
いまでも、たまに僕は母の視点で考えたりします。こんなとき絶対に母さんだったらこうしろって言うんだろうなーって。しかもたいていそれって、正しい事だったりするわけで、そういう視点を持てるということは非常に幸せです。(ちなみにいつもいろんな角度で考えるときに、この人だったらどう考えるだろう?どう対処するだろう?という人が僕のなかに5人ほどいます。ロッキーバルボアとか劇中の人物も含め。)ということで、母はいまだに強く僕のなかにいて、指針となって航海を助けてくれます。感謝。